お墓参りをした後のような
1年に1度の展示会への参加で東京に4日間滞在するこの季節。
神戸にいたら製作するものに追われて時間がないない言ってますが東京では家具は作れないので時間はある。
その時間を利用して確定申告の入力なんかの事務作業をしたりしていますが東京での展覧会を見に行くのも楽しみのひとつです。
今回は坂本龍一の『音を視る 時を聴く』を見に行きました。
教授が亡くなったのが2年前の春頃だったと思う、その少し前に高橋幸宏も亡くなってYMOではおじいちゃんといじられていた細野晴臣のみが残るということにあっという間になった。
特別ファンというわけではなかったけど、毎日聞くラジオの中で坂本龍一という人物の名前はよく出てくる。
音楽業界でなにかポッカリと隙間ができたような寂しさを語るアーティストが多かった。
今回の展示はそんな坂本龍一の回顧展かな?YMOとかテクノやポップスの何かが見れるのかな?と何の予備知識もないまま見に行ったら全然違って少し戸惑ったけど、会場を進むにつれて向き合えるように心境が変化していったのがおもしろい。
時間をテーマにししたインスタレーション作品や映像作品が展示室ごとに展示されていて、作品の特性で滞在時間が長くなる。
「見る」「聞く」に集中するのでどんどんその世界にはまりこんでしまう。
時間をテーマにした創作物というのは芸術家ではある種の定番のテーマだと思う。
絵画でもあるし、ダンテの神曲みたいなのもある。
人間が生きている世界が3次元だとすると、5次元の世界を表現しようとすることでひとつの境地だろう。
そっちの世界が見えた人はお釈迦様やキリストみたいに神様と呼ばれるひとくらい。
坂本龍一もそこに近づいていたんだろうなと展示を見て感じました。
それだけ深く深く追求して思考していたことように思えた。
印象的だったのは会場を進むにつれて展示そのものがセルフプロデュースしたお葬式のように思えてきたし、曲は讃美歌のように聞こえてきたこと。
最後の展示室では鳥肌がたった。
お墓参りをした後のような、神社でお参りした後のような、少しスッキリして美術館を出ました。
良い展覧会でした。
